ウェブ神学セミナー:第35部
2024年5月26日
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生徒の皆さん、そして神様のみことばを教える先生方、おはようございます。
今週のレッスンは、主イエス・キリストの執り成しの働きについてです。
先週のレッスンの続きです。
先週、私たちの偉大な大祭司としてのキリストの資格についてお話ししました。
そして、キリストの贖いの御業がこの地上で完成したことを話しました。
また、キリストが大祭司となる条件をどのように満たしたかについても話しました。
キリストがアロン的な祭司職の型に従った祭司とされたことを扱った箇所を挙げました。
メルキゼデクや他の祭司たちとは違って、アロンの祭司職は継続的に祭司が継承されなければなりませんでした。
メルキゼデクは永遠に生き続けるので、継続的な祭司職はありませんでした。
そして、キリストが罪人のために完成された贖いをささげるために、カルバリのいけにえによってご自身をささげられたことをお話ししました。
さて、主イエス・キリストの祭司職を語る上で最も重要なことは、ヘブル人への手紙10章6節から12節に記されていることです。
キリストがカルバリーで完成された完成されたいけにえは、一度きりのものであったということです。
最終的で、永遠の行為。
二度と繰り返されることのない、再演されることのない、誰にも継続されることのない行為。
キリストの死を記念するとか、キリストを思い起こすために行うと言われた主の晩餐についての冒涜的な異教の教え。
それはキリストの死の代わりであり、キリストの死の継続であり、キリストの死の再現でした。
英国国教会の39箇条が、冒涜的な妄想であり、危険な欺瞞であると呼んでいるものです。
事実上、それは何を意味するのでしょうか。
それは、救いの計画全体が人に奉仕する人に委ねられ、彼らはイエス・キリストだけが持っている力と権威を持っているふりをするということです。
主イエス・キリストは、私たちの職業の使徒であり大祭司と呼ばれています。
ですから、シモン・ペテロを使徒の王子と呼ぶのは、さらにナンセンスで冒涜です。
使徒の王子とは主イエス・キリストご自身のことなのに、シモン・ペテロを使徒の王子と呼ぶとは何事ですか。
また、キリストの死が繰り返されるべきであるとか、継続的に再現されるべきであるとか、キリスト自身が、それは一度きりのことであり、最終的かつ永久のことであると言っているのに、あなたがたはいったい何者なのですか。
ヘブル人への手紙3章1節と、ヘブル人への手紙10章6節から12節をご覧ください。
ヘブル人への手紙3章1節
聖なる兄弟たち、天の召しにあずかる者たちよ。使徒であり、私たちの職業の大祭司であるキリスト・イエスについて考えてみましょう。
主要な使徒たちです。
シモン・ペテロは同類でもありませんでした。
使徒の王子はマタイ16章で、シモン・ペテロをサタンと呼びました。
そして一度だけ、前にも言ったように。
1グラムの読書は1キロの偏見に値する」。
マタイによる福音書16章で、主イエス・キリストがシモン・ペテロに岩について話しています。
そして、同じ章の23節で、シモン・ペテロにこう言いました。
私の後ろに行きなさい、サタン。あなたは私にとって不快です。
使徒の王子とは主イエス・キリストのことであるのに、シモン・ペテロを使徒の王子と呼ぶのは、現代のエキュメニカル運動によく見られる、冒涜的な愚かさです。
すべてのエキュメニカルな運動は、真理を犠牲にして集まるべきです。
イエス・キリストは使徒です。
彼が使徒の王子でないなら、トマスは誰ですか?
使徒と呼ばれ、大祭司とも呼ばれています。
ですから、私たちは人々を救い、霊的ないけにえをささげる祭司なのです。
そして、私たちのために天国に行き、神のみ前に現れる大祭司がいます。
さて、場所です。
天国にあると言われています。
ヘブル人への手紙9章11節から12節には、この祭司の責任についてこう書かれています。
キリストは、来るべき良きことの大祭司として来られました。手で造られたのではない、より偉大で完全な幕屋によって。つまり、この建物ではありません。ヤギや子牛の血によっても。しかし、ご自分の血によって聖なる所に入り、私たちのために永遠の贖いを得られました。
ヘブル9:24
キリストは天国そのものに入られました。
レイチェルが死んだ時、彼女の魂は旅立たなかったのです。
創世記で気づきましたか?
パウロが死んだとき、彼は言いました。
私の旅立ちの時は近づいています。(2テモテ4:6)
お気づきでしたか?
キリストが旅立たれた時、天に行かれました。
ヘブル9:24
もちろん、クリスチャンの永遠の住まいが、神様が天から降ろしてくださる新しいエルサレムであることは、技術的には知っています。
そんなことは、わかっていることならみんなわかっていると思います。
私たちは、クリスチャンの住まいが都市であることを知っています。
天から神様が下りてくる都に用意された屋敷。
しかし、私たちの住まいは天におられる主とともにあります。
今まさに、天におられる父の右の座に。
ヘブル9:24
だから、天国に行ってはいけないと言わせないように。
そんなバカな、パウロがパラダイスに行ったときのことを知ってるの?
第二コリント12章1節から5節まで。
第三の天に上げられたと。
読みましたか?
--------@6:45
さて、ここで人間の大きな問題のひとつが浮かび上がってきました。
もちろん、集まってくる不義の謎は、刻一刻と謎を深めていきます。
しかし、聖書を信じていると公言する人たちが、なぜクリスチャンが死んでも天国に行けないと伝える放送やテレビ放送を支持するのか、考えてみればまったくおかしなことです。
パウロがリストラ郊外の道で石打の刑に処せられ、死んだものとされたとき、彼は第三の天に引き上げられ、神様がご自分を愛する者のために用意されたものを見ました。
ヨハネが新しいエルサレムに召され、それを見たとき、天に召されました。
そしてキリストが戻られた時、天に戻られました。
ヘブル人への手紙9章24節
そんなくだらないことのために、どこかの伝道師があなたの懐から資金を引き出している間に、あなたは何のためにそんなことをするのですか?
場所は天国です。
今、キリストは天国で私たちのために神のみ前に現れます。
そして、私が「私たちのために」と言うとき、これは「誰のために」という質問に答えるものです。
まあ、彼自身のためにね。
ヘブル人への手紙9章24節にはこうあります。
今、私たちのために神のみ前に現れるために。
キリストは言われました。
この世のために祈るのではありません。(ヨハネ17:9)
私たちのために祈ってくれているんです。
素晴らしい詩だと思いませんか?
永遠の救いを疑う人たち。
自分が救われているかどうかもわからず、逃げ回っている人たち。
そして、あなたは救われました。
そして救われたと思ってください。
そして、あなたが救われることを願っています。
マタイによる福音書やヘブライ人への手紙では、いつも赦されざる罪について心配しています。
もしあなたが救われているのなら、イエス・キリストはあなたのために祈ってくださっているのだ、と考えたことはありますか?
彼があなたのために祈ってくれているのですから。
人間って面白いですよね。
神様が自分たちが教えられてきたことと矛盾するようなことを言われると、ひどく動揺するのです。
そして神様が、伝統や習慣や習慣によって教えられてきたことと矛盾するようなことをおっしゃるとき。
彼らは動揺して、伝道師のことを大声で叫び始めます。
みんな変ですよね。
キリストは今、私たちのために神のみ前に現れてくださいます。
私たちのために執り成しをしてくださる根拠は、完成された御業です。
ヘブル人への手紙第9章12節に、イエスはご自身の血によって天国に入られたと書かれています。 ヨハネによる福音書第17章1~26節で、イエスはこの完成された業についてしばしば語っています。
そして、自分が救われているかどうか疑っている人たちのために、どうすればいいか教えましょう。
そして、25秒もかからずに決着をつけることができます。
その1。
救いのために教会の働きや秘跡や感情や経験を信頼するのはやめましょう。
その2。
神様の言葉に魂を休めなさい。
あなたの罪のために死んでくださったイエス・キリストの完成された御業について。
そして、ひざまずきます。
ヨハネ17章をお読みください。
自分を正当化するために、自分の業や、自分を正当化するために聖餐式や、自分を正当化するために教会に従うことや、感情的な経験を当てにしている人々。
彼らは自分の救いを疑っています。
神のみ言葉、イエス・キリストの完成された血の贖罪の上に、魂を完全に休ませることはできません。
そして救いを疑います。
そして、私が話している疑い深い人たちは皆、他の何かを信じています。
疑いを持つことは、真の信者に起こることです。
しかし、もしあなたが彼の近くにいて、聖書を読み、定期的に祈るなら。
その完成された御業に完全に安住すれば、疑念は消え去るはずです。
キリストは天に昇り、神のみ前に。
そして、右手におられる神様の御前で、私たちのために嘆願しておられるのです。
そして、私たちのための祈りの中で、神様が私たちに必要な恵みを与えてくださるようにと祈っているのです。
第二コリント12:9。
神様が私たちに力を与えてくださるということ。
ヨハネの福音書17章11節
神様が私たちを罪や誘惑から守ってくださること。
ヨハネの福音書17章15節
大祭司である彼に罪を告白するとき、私たちは赦され、清められるのです。
第一ヨハネ1:9
私たちがキリストを証しする力を持つようになるために。
使徒1:8。
そして私たちの最終目的地は完成します。
私たちはイエス・キリストの姿に変えられます。
ローマ人への手紙8章29節
そして、これらの請願の目的は、生命を維持することです。
ヘブル9:24
私たちをきれいにするために。
第一ヨハネ2:1。
必要なときに恵みと助けを与えてくださるように。
ヘブル4:15と16。
そして勝利のために。
ヘブル人への手紙2章17節と18節。
これらの節は、キリストを信じ、彼を信頼した人々に代わって、キリストが天において現在行っている働きについて述べています。
そして、感情的な経験を頼りにしていた人々は、基本的に聖書を拒否するクリスチャンであるため、これらのどれにも頼ることはできません。
しかし、聖書を信じるクリスチャンには別のものがあります。
聖書を信じるクリスチャンには、偉大で尊い約束があります。
今この瞬間、主イエス・キリストが彼のために祈っておられるということを。
これらの節は、信仰者がキリストと神にあって永遠に絶対的に安全であることを示しています。
神様がその人の中にいて、キリストがその人の中にいて。
そして、キリストの中の彼、神の中のキリスト。
そして3人で1つ。
主イエス・キリストのために、日々、恵みの御座の前で祈り、執り成してください。
イエス・キリストは私の弁護者です。
ヨブ記1章とヨハネの黙示録12章には、サタンが神の御座で兄弟たちを告発する者であると書かれています。
そして、サタンの告発に対抗するために、検事。
天国には弁護人がいます。
神様には弁護士がいます。
私たちの弁護人は、主イエス・キリストご自身です。
第1ヨハネ2:1-2を読ませてください。
私の幼な子たちよ。あなたがたが罪を犯さないように。もし罪を犯す者があれば、わたしたちには父との弁護者がいます。義人イエス・キリストです。彼は私たちの罪のための身代わりです。
犠牲が弁護士になるのです。
殺された子羊は神様の右の座で弁護人となります。
そして、私たちが罪を犯すと、カルバリーで完成されたご自身の御業に基づいて、私たちのために嘆願してくださいます。
神様の御子イエス・キリストの血。
すべての罪から私たちをきよめます。
今、あなたは偉大で貴重な約束について話しています。
今、引用したのは何だと思いますか?
私たちが罪を告白するならば主は忠実で正しい方ですから、私たちの罪を赦し、すべての不義から私たちをきよめてくださいます。(第1ヨハネ1:9)
"彼"偉大な大祭司、使徒の王子。
イエス・キリスト(神様の御子)の血は、私たちをすべての罪からきよめます。
すべての罪。
さて、どう思われますか?
誰かが言いました。
「伝道師、あなたは私が何をしたか知らないでしょう」。
何をしたかは関係ありません。
主が関心を持っておられるのは、あなたが治療を受けるかどうかということです。
と言う男がここにいます。
「性病は生まれつきだから。父のせいか、母のせいか。あるいは祖父母か何かのせい」。
主はそんなことに興味はありません。
治るものならね。
彼が知りたいのは、治療を受けるかどうかということです。
どうして今のような状態になったのか、あなたが議論するのはまったく絶望的で無力で無駄なことです。
私たちは堕落した生き物です。
アダムの生き物。
私たちは堕落し、堕落し、失われ、死に、不法行為を犯し、罪を犯すのが自然な姿です。
そして、新生を離れては、私たちは絶望的で無力です。
イエス・キリストの血は、私たちをすべての罪からきよめてくださいます。
あなたがすべきことは、その約束を主張することです。
彼は言いました。
"兄さん、私が何をしたか知っていたら"
あなたが何をしようと関係ありません。
約束があります。
"すべて "と書いてあります。
"すべて "と書いてあれば、"すべて "という意味です。
書いてないですよ。
"不倫以外のすべての罪"。
書いてないですよ。
"すべての罪は麻薬を扱うこと"。
書いてないですよ。
「獣姦以外のすべての罪」。
書いてないですよ。
「誘拐以外のすべての罪」。
書いてないですよ。
「殺人以外のすべての罪」。
書いてないですよ。
「すべての罪は倒錯に過ぎない」。
書いてないですよ。
「強要以外のすべての罪」。
書いてないですよ。
"すべての罪は何でも"。
"すべての罪 "と書いてありました。
すべての罪。
私たちには憐れみ深く、慈愛に満ちた大祭司がいます。
そして、すべての罪から私たちを清めてくださいます。
許し、清めなさい。
許してください。
クレンジング、ポジティブですね。
ですから、イエス・キリストは今日、あなたの執り成し人となってくださいます。
彼は私のものです。
今日、私がここに座って呼吸をし、神のみことばを読み、あなたと話しているのと同じように。
神の御座の右に大祭司がおられること。
彼のところに行くと
私はベルボーイや秘書、副社長、カーホップ、運転手などとは付き合いません。
私は正面玄関を入ってすぐ、フロントオフィスに行き、彼の向かいのデスクに座りました。
私の父です。
メアリーに聞く必要はないわ。
「入れてください」。
それとも
「祝福されたヨセフ
それとも
"洗礼者ヨハネ"
「2階の部屋にしてくれませんか?
それとも
「待合室に座ってください
正気ですか?
私の父です。
そして、私が困ったときには、兄がとりなしてくれます。
さて、あなたはこれに勝てるでしょうか?
さあ、来なさい。主は言われました。あなたがたの罪が緋のようであっても、雪のように白くなる。あなたの罪は深紅のように赤くても、羊毛のようになる。
ですから、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされないのです。(ヘブル2:11)
キリストは言われました。
天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、母です。(マタイ12:50)
事務所に兄がいるんです。
私が失敗すると、彼は私のために保証人になってくれるんです。
事務所に入ったら、父が相手です。
私の使徒階層における使徒の王子はイエス・キリストです。
私の大祭司はイエス・キリストです。
そしてオフィスに入って、テーブルの上に勘定書を並べました。
さて、あなたにはそのとりなし手がいますか?
厳しい試練のときこそ、宮廷に真の友がいることを喜ぶべきです。
告発が持ち上がったとき、救い主は私たちを助けるために天の法廷で待機しておられます。
そして、彼は御父に対するあなたの個人的な代理人になることを望んでいると言います。
彼は私のもの。
彼はあなたのものですか?
あなたが祈り、あなたのケースを彼の手に委ねるとき、彼はあなたのケースを引き受けます。
彼はまだ一度も負けたことがないんです
真の人間である彼は、あなたと同じように、あらゆる点で誘惑を受けました。しかし、彼には罪がありませんでした。彼は罪に打ち勝ち、今、あなたに同じ力を与えています。
今、私たちは、サタンが絶えず私たちに対してどのような非難を御父に投げかけているのか知りません。
でも、彼が私たちの悪いところを見つけるのに、一生懸命探す必要はないでしょうね。
いくつかは本当かもしれないし、多くは嘘かもしれません。
でも、私が自分の人生を知っているように、あなたも自分の人生を知っているのなら。
もし悪魔があなたに対して非難を加えようとするなら、それほど遠くを探さなくても、何か本当のことを聞き出すでしょう。
そうでしょうか?
そんなことしないと思いますよ。
黙示録12:10では、私たちの兄弟たちを告発する者は打ち倒されます。
しかし、彼は艱難辛苦が終わるまで投げ出されることはありません。
そして、亡くなった愛する人は、私たちの擁護者にはなれません。
彼らは罪がないわけではありません。
マリアと聖人は擁護することはできません。
彼らは罪がないわけではありません。
キリストがお生まれになったとき、マリアは清めのいけにえをささげ、その魂は救い主である神様を喜びました。
マリアは救い主が必要であることを認識し、罪の清めとしていけにえをささげました。
彼女に自分の味方になってもらいたいと思いますか?
結論は簡単です。
イエス・キリストはすべてのことを知っておられます。
彼は誘惑が来る前から、誘惑について祈ることができます。
ルカによる福音書22章31-32節で、主はこう言われました。
シモン、見なさい。サタンは、あなたを麦のようにふるいにかけるために、あなたを手に入れようとしています。しかし、わたしはあなたのために祈りました。
あの執り成しの祈りを見てください。
ルカ22:32。
私はあなた方のために祈りました。
これは、私たちの偉大な大祭司として、私たちに代わってキリストが執り成す働きの一例です。
彼がシモン・ペテロのために祈っていることに注目してください。
何が起こるかを知ること。
結局のところ、主は悪魔と接触しているのです。
悪魔が何をしようとしているのか、主はご存知なのです。
ですから、その許可とともに、シモン・ペテロのために執り成しの祈りも捧げられました。
これは、あなた方にとっての偉大な模範であり、あなた方のうちの何人かを叱責するものではありませんか?
自分で弁明するのではなく、裁判で彼に弁明させたらどうですか?
小さな愚かな古い聖餐式や教会員や洗礼や、小さな古い善行や黄金律の周りに詰め込む代わりに。
自分を正当化するのはやめてください。
史上最高の地方検事である弁護人の手に事件を委ねたらどうですか?
なぜそうしないのですか?
法廷で古くから言われていることですが、自分を弁護する者の弁護人は愚か者です。
神の御座の前で自分を守ろうとするなら、もっと経験のある完璧な弁護士がいるのに、そんなことをするのは愚かなことです。
一度も敗訴したことのない弁護士がやってくれます。
なぜやらないんですか?
あなたの訴えを認め、日々の生活のための恵みの強さと力を受け取ってください。
主があなたの訴えを認め、あなたを主の祝福された姿に変えてくださいます。
キリストの執り成しの御業は、一貫した印象的なクリスチャン生活を送るための強力な動機となっています。
復活の主イエス・キリストがあなたを見守っておられることを知れば、奉仕のための士気が高まると思いませんか?
多くのクリスチャンが誰にも証しをしないのはなぜかわかりますか?
あるクリスチャンが、救いに関するトラクトではなく、教義上の特殊性に関するトラクトでない限り、決してトラクトを配らない理由を知っていますか?
クリスチャンが、たとえ死にそうなときでも、救われる方法を決して人に教えない理由を知っていますか?
あなたは主を恥じています。
そして彼は言いました。
ですから、この姦淫の罪深い世代において、わたしとわたしのことばを恥とする者はだれでも、人の子もまたその者を恥とするのです。聖なる御使いたちと共に、父の栄光のうちに来られるときに。(マルコ8:38)
もしあなたが、主イエス・キリストが今天上であなたのために執り成しをしていると本当に信じているのなら、それはあなたを別の種類のクリスチャンにすることになることを知らないのですか?
天国へ行くことが分かっているのですから。
そして、あなたは彼に会いに行くのです。
彼と顔を合わせれば、思わず声をかけたくなるでしょう。
"まあ、もっとうまくやれたでしょう、主よ"
と言いたいのでしょう。
「主よ、これがその傷跡です。私が最善を尽くしたことをご存知でしょう"
そういう人生が変わるのです。
キリストの執り成しの業は実践的です。
実用的です。
ヘブル7:25。
神は、ご自分によって神のみもとに来る人々を、とこしえに救うことがおできになります。
そして、神様との交わりを失ってしまった人は、イエス・キリストに祈ることで、交わりを取り戻すことができるのです。
人々が証しする力を必要とするとき、イエス・キリストに祈れば、イエス・キリストが証しする力を与えてくださいます。
人々が何か悪い習慣から解放される必要があるとき、イエス・キリストに祈れば、その習慣から解放してくれます。
人々が助けを必要とするとき、イエス・キリストに祈れば助けを与えてくれます。
平和が必要なときは、イエス・キリストに祈れば平和を与えてくれます。
彼は24時間、週7日体制で私たちのために執り成してくれています。
そして、キリストの執り成しの業は、すべてのクリスチャンにとって喜びと慰めの源です。
最も謙虚な信者は、目に見えない友が上で自分の世話をしてくれているという愛の中で休むことができます。
時間や出来事に左右されない誠実なケア。
イエス・キリストを救い主として受け入れるべきです。
そして、この執り成し人、この弁護士をあなたの味方につけて、あなたのケースを弁護してもらいましょう。
彼は一度も負けたことがありません。
さて、次回は何週間もかかる一連の研究を取り上げます。
これらは、主イエス・キリストの再臨に関する研究です。
それまでは。
主の祝福がありますように。