ウェブ神学セミナー:第39部
2024年6月23日
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神様のみことばを学ぶ皆さん、教師の皆さん、おはようございます。
私たちは系統神学と教義神学において、キリスト論という主題を何週間も学んできました。
これは簡単に言えば、主イエス・キリストに関する教理を意味します。
この最後のシリーズでは、4、5回に渡ってレッスンを行ってきました。
主イエス・キリストの再臨の時に起こる現象について話してきました。
イスラエルに関するキリストの再臨について話してきました。
教会に関して。
そして神様に関しても。
このテーマの最後のセッションでは
主イエス・キリストの御姿と御業を正しく扱うために
キリストの来臨は、国々に関してです。
社会全体に関して。
反キリストと悪魔に関して。
そして物理的な宇宙に関しても。
これらのセッションで何度も述べてきたように、キリストの再臨は神様のみことばの中で最も重要なテーマです。
そして、教会員や水のバプテスマを扱っている文献1つに対して、イエス・キリストの再臨を扱っている文献は10以上あります。
ですから、私たちは、同じ主題について議論することにすべての時間を費やす説教者についてどう考えるべきかを知っているのです。
バプテスマと使徒言行録、マタイによる福音書、ヘブル人への手紙についての議論。
どうすれば救われるのか、どうすれば救われ続けるのか。
聖書には、キリストの再臨に関する聖句の方が、救われる方法に関する聖句よりも多いのです。
これは信じがたいことかもしれませんが、神様のみことばに触れたことのない人にとっては信じがたいことなのです。
多くの無学な人々は、教育を受けた人々よりも頭脳明晰です。
私たちが言っているのは、膨大な数の長老司祭ビショップ、説教者、教皇、聖書教師のことです。
彼らは独善のために、神のみことばを弄び、聖句を脈絡なく引用し、一つの主題に固執しています。
聖書が何を語っているのかを知るために聖書を読むのではなく、聖書が何を語っているのかを知るために聖書を読むのです。
聖書に何が書かれているかを研究する人なら誰でも、キリストの再臨については、他の二つの主題を合わせたものの10倍以上のことが書かれていることを知っています。
そして、「バプテスマ」という用語が義認と決して結びついていないことを忘れてはなりません。
バプテスマは決して贖罪とは関係ありません。
バプテスマは永遠の命とは決して関係ありません。
実のところ、水の洗礼が「救われた」という言葉と結びついたのは、一度か二度だけです。
それも、その文脈の中でです。
水バプテスマが救いの主体ではなく、信仰が救いの主体であることは明白です。
この人たちは、神のみことばに根ざし、地に足をつけていません。
もしそうであれば、神様のみことばの主要テーマについてもっと多くの時間を費やすでしょう。
それはイエス・キリストの完成された御業です。
カルバリの十字架上ではありません。
再臨です。
王の中の王、主の中の主として来て治めること。
啓示者ヨハネが言ったように
そうであっても、主イエスよ、来てください。
さて、このセッションでは、キリストの再臨について、諸国民と再生していない個人について話しています。
もちろん、その日は教会とイスラエルにとって幸せな日です。
しかし、他の誰にとっても悲しいことです。
マタイによる福音書24章30節にはこうあります。
そのとき、人の子のしるしが天に現れ、地のすべての部族が嘆き悲しむでしょう。
さて、イスラエル12部族にとって、イエス・キリストの十字架刑に自分たちが罪を犯したと気づく不幸な日がやってきます。
ヨハネの黙示録』1章7節にはこうあります。
見よ、主は雲とともに来られます。そして、すべての目は彼を見、彼を刺し貫いた者もまた、彼を見ます。地上のあらゆる種族が、彼のゆえに嘆き悲しむでしょう。
ですから、この箇所では、部族が嘆き悲しむとはっきり告げられています。
イスラエルの部族だけでなく、全地の部族も。
海外に散らばった12部族。
イエス・キリストの再臨は、救われていない世に対する裁きのためです。
キリストの再臨について語るとき、聖書は聖霊が思いつく限りの否定的な言葉を用いています。
キリストの再臨の日は、怒りの日、暗黒の日、恐怖の裁きの日として語られています。
国々の裁きは、キリストの啓示の後に行われます。
マタイによる福音書25章の31節と32節にこうあります。
人の子が栄光を帯びて来て、すべての聖なる天使たちが共に来るとき。その時、彼は栄光の御座に着きそして、すべての国々がその前に集められ羊飼いが羊と山羊とを分けるように。
もちろん、この箇所には羊の国とヤギの国というものはありません。
イスラエルを助けた国々から集められた人々が羊を構成します。
イスラエルを助けなかった国々の人々が山羊を構成します。
また、第2テサロニケ人への手紙1章7節から8節には、こうあります。
そして、思い悩んでいるあなたがたは、私たちとともに休みなさい。主イエスが、その力ある御使いたちと共に、天から現われるとき。私たちの主イエス・キリストの福音に従わず、神様を知らない者たちに復讐するために。
不可知論者であると主張するとき、人々はこのことを忘れてしまいます。
第2テサロニケ1:7-9にある、イエス・キリストが再臨されるときのことを忘れているのです。
福音に従わない者に裁きを下すためだけでなく、神様を知らない者にも裁きを下すために戻って来られるのです。
その時、主イエス・キリストは国々を裁かれます。
裁きの基準は、あなたの名前が小羊のいのちの書にあるかどうかではありません。
裁きの基準は、キリストの兄弟たち、つまりアブラハム・イサク・ヤコブの肉親の息子たちをどう扱ったかということです。
マタイによる福音書25章の裁きを見てください。
白い玉座ではなく、栄光の玉座です。
マタイによる福音書25章には、この地上での裁きが書かれています。
白い御座の裁きは、天地が過ぎ去った後に行われます。
マタイによる福音書25章を読んでください。
裁きは、救われていない個々の人々ではなく、国々に対して行われます。
マタイ25章の裁きの基準は、イスラエルの扱いであって、小羊のいのちの書に名前があるかどうかではないことにお気づきでしょう。
このことをよく理解し、注意しなければなりません。
なぜなら、千年王国説とポスト千年王国説は、その盲目的な無知ゆえに、最後の審判と最後の復活は一つしかないと考えているからです。
この異端は、1世紀と2世紀にキリストを否定するキリスト教徒と聖書を否定するキリスト教徒から生まれました。
キリストを拒否するクリスチャンと言うのは、キリストの名を公言し、キリストの名を使う人々の中には、自分がクリスチャンであるかのように装ったり、欺いたりする、ただの人に過ぎない人々が常に存在するからです。
マタイ7:20-21。
そして、聖書を否定する人々は、自分たちの行いが十分であることを願っていたので、いつも一つの裁きを信じていました。
神の言葉を注意深く学び、神の言葉に敬意を払う人。
マタイによる福音書25章の裁きは、コリント人への手紙1章3節のキリストの裁きの座ではありません。
コリントの信徒への手紙第二5章にあるキリストの再臨でもありません。
ヨハネの黙示録20章にある白の裁きでもありません。
だから私たちは勉強しなさいと言われているのです。
自分が神から認められていることを示すために学びなさい。恥じる必要のない働き人。真理のことばを正しく分かつ者。(テモテ2:15)
真理の言葉には適切な区分があります。
そして、イエス・キリストの再臨における国々の裁きは、黙示録20章にある救われていない者の裁きとは何の関係もありません。
その基準はイスラエルの扱いではありません。
しかし、その基準は、その人の名前がいのちの書に記されているかどうかです。
それで、国々は裁かれ、羊とヤギに分けられます。
そして、地上に残された者たちは、キリストがこの地上を鉄の棒で千年間支配する間、キリストに仕えるのです。
イエス・キリストの千年王国は、正しい人物が権力を握る正しい政府です。
さて、以前にも申し上げたとおりです。
新約聖書だけでなく、旧約聖書にもこのような事柄を扱った箇所がたくさんあります。
詩篇2:9、ゼカリヤ9:10、ヨハネの黙示録11:15にあるように、この世の王たちは私たちの主とそのキリストの王国になり、彼は永遠に支配するのです。
あなたも気づくでしょう。
これは、この時代に現れている神の霊的な王国とは何の関係もありません。
長老やさまざまなカルトや宗派の中には、神の国と天の国を混同している人もいます。
そして、彼らはこの世の王国があることを忘れています。
国連や上院などでのことです。
彼らは最終的にはイエス・キリストに引き渡さなければなりません。
聖書には、イエス・キリストの再臨まで戦争と戦争の噂があると書かれています。
詩篇2:9 ゼカリヤ9:10 黙示録11:15
そして、この世界がイエス・キリストに服従するまでは、戦争 拷問 強盗 強姦 強盗 麻薬売買 売春 税金 インフレ 苦しみと死しかないでしょう。
そして、私はすべての人に慈愛の心をもって、雲の明るい面に銀の裏地を見て、そう言っているのです。
クラウドランドに住んでいる精神病院の人たちのように、自分たちがお金を稼ぎ、生活費を支払い、健康でいるから世界は良くなっていると考えるような、前向きな人たちがよくいます。
しかし、真実を顧みないその種の人々はどの世代にもいます。
ミカ4:3、イザヤ2:4まで、国々は戦争をやめ、平和に暮らすことはありません。
そして、あなたがイスラム教徒であろうと、仏教徒であろうと、共産主義者であろうと。
私にも神様にも関係ないことです。
その聖書にはこう書かれています。
御子を信じる者は永遠の命を得ます。御子を信じない者は、いのちを見ることができず、神の怒りがその上にとどまるのです。(ヨハネ3:36)
もしあなたのコースが、その本に対して自分を縛り、決心しているのであれば。
そして、皆さんの多くがそうなのです。
そして、あなたの進路は、あなた自身の意見に縛られ、決定されます。
そして、皆さんの多くがそうなのです。
膝を下げ、頭の上を曲げます。
あなたはひざをかがめ、あなたの舌はイエス・キリストが主であることを告白するでしょう。
父なる神様の栄光のために。
それに、あなたの気持ちなんて、どっちに転んでも変わらないんだから。
さて、社会全体についてです。
水が海を覆うように、地は主を知ることで満たされる」(イザヤ11:9)。(イザヤ11:9)。
反キリストと悪魔に関して。
反キリストは携挙の後に現れます。
そして、その7年間の恐怖の支配は、私たちの主イエス・キリストが聖徒たちとともに天から啓示されることで頂点に達するでしょう。
これらは、この非常に重要な事柄について語っている節です。
国際連合(あるいはそれに代わるもの)は、ローマ共産主義体制の下で、反キリストによって乗っ取られるでしょう。
もちろん、反キリストには崇拝を求める宗教家がいます。
彼は聖なる父と呼ばれ、人々がひれ伏して彼を崇拝することを望むでしょう。
ですから、彼が国際連合や国際社会主義ソビエト世界評議会の後援を引き継ぐときは、そのようになります。
アメリカと一緒に小国を形成するかもしれません。
そのような体制のもとでは、米国は小国として、すべての権利と財産を失うことになります。
そういうものですよ。
共産主義の第一歩は銃の登録。
その目的は、財産を没収されても反撃できないようにするためです。
ご存じない方もいらっしゃると思います。
ただセンスのない男を見つけたいなら、常にポジティブに考える男を見つけるといいでしょう。
半分くらいイカれたヤツがいるでしょ。
彼らはどこよりも精神病院よりも楽観主義者です。
力づくで奪いに来ない限り、人から財産を奪うことはできません。
武器を持っていれば、力ずくでは奪えません。
わかりますか?
それが苦手な人もいるようですね。
武器を没収するまで、武器を奪うことはできません。
登録させるまでは没収できませんよ。
そして、それを引き渡さなければ法律違反だと脅すのです。
政府による買収の第一歩は銃の登録。
そして次は銃の没収。
これはまさにナチス・ドイツで起こったことです。
そしてその次が私有財産の廃止で、マルクス・レーニンの設定です。
そういうものです。
わかりますか?
そして、それが行われるとき。
そしてもちろん、アメリカはローマでは外国政府の下にある小国となるでしょう。
もはやかつてのような巨大な世界大国ではありません。
反キリストが乗っ取るのに問題はないでしょう。
シリアルナンバーがあるでしょう。
電話番号
市外局番。
年金番号。
社会保障番号。
銀行番号
彼はあなたの電話番号を知っているでしょう。
テサロニケの信徒への手紙第二2章8節にあるように、7年間にわたる恐怖の支配は終わりを告げます。
その時、悪しき者が現われるでしょう。主がその口の霊で焼き尽くし、その来臨の輝きで滅ぼす者を。
黙示録19:20は、反キリストが火の池に投げ込まれる最終的な終わりについて述べています。
悪魔は鎖につながれ、千年の間、底なしの穴に投げ込まれます。
主イエス・キリストの啓示に始まり。
黙示録20章1節から3節をお読みください。
そして、私は、一人の天使が天から下って来て、底知れぬ穴の鍵と大きな鎖とを手にしているのを見ました。そして、竜、すなわち、悪魔でありサタンである古い蛇を捕らえてそして、彼を千年縛りそして、彼を底なしの穴に投げ込み閉じこめて封印しその封印は、千年が全うされるまで、もはや諸国民を惑わすことのないように。
それについてはまたお話ししましょう。
キリストの千年王国については、また後日お話ししましょう。
今、私たちが話しているのは、イエス・キリストが再臨し、千年の支配を確立するということです。
反キリストと悪魔に関して。
反キリスト
ザ・ビースト
偽預言者
彼らは肉体的に滅ぼされ、火の池に投げ込まれます。
火の池の中では生きています。
魂と肉体が破壊されるのです。
そして火の池の中で、千年間燃え続けるのです。
千年後、彼らは悪魔と合流します。
その間、悪魔は底なしの穴に投げ込まれ、千年間監禁されます。
そして千年の終わりに、聖書が示す紛れもない真実を証明するために、もう一度国民を欺くために現れるでしょう。
悪魔のせいばかりではないということ。
サタンは人間との論争、神様との論争を持っています。
そして神様に対する彼の指摘はこうです。
"私のせいばかりではありません"
そして、彼は正しい。
人間の未再生的な性質が、その多くを引き起こしているのです。
そして、千年の間、悪魔が存在しなければ、人間は自分の道を歩み、自分がまだ神様を無視する反逆者であることを証明するでしょう。
悪魔は自分の主張を証明するでしょう。
人間の本性に肯定的な人間が狂っていることを証明してくれるでしょう。
彼は、イエス・キリストが言ったことが真実であることを証明するでしょう。
もしあなたがたが、悪であるなら。(マタイ7:11)
多くの人がキリストを偽っています。
人間の本性の悪と邪悪さを暗黙のうちに信じ、こう言ったキリスト。
あなたがたは、あなたがたの父である悪魔のものであり、あなたがたの父の欲望を行うのです。(ヨハネ8:44)
蛇ども、毒蛇の世代よ。どうして地獄の苦しみから逃れることができようか。
聖書のイエス・キリストです。
テレビ番組や映画で紹介されるイエスとはまったく違います。
イエス・キリストが戻ってこられたら
彼は反キリストを倒し、この世の国々を支配します。
そして、悪魔は千年の間、追い払われます。
物理的な宇宙に関しては、また別のことがあります。
主イエス・キリストが再び来られるとき、この被造物は堕落の束縛から解放されるでしょう。
ローマ人への手紙8章19節から21節にこうあります。
被造物の切なる期待は、神の子らの顕現を待ち望んでいるからです。なぜなら、被造物は虚栄に服従させられたからです。しかし、それは、望んで従わせた方のためなのです。なぜなら、被造物自身もまた、堕落の束縛から解放されて、神の子たちの栄光ある自由を得るからです。
聖書が人間の生来の邪悪さ、堕落、邪悪さ、堕落を当然のこととしているばかりでなく、人間の本性をどのように捉えているかに改めて注目してください。
しかし、母なる自然の生来の邪悪さと堕落。
つまり、聖書は常に、救われていない人々が肯定的に語ることを否定的に語っているのです。
そして、救われていない人々が否定的に語ることを、いつも肯定的に語るのです。
はっきりさせましょう。
聖書には、この地球はもう終わり、焼かれると書かれています。
違いはお分かりですね。
救われていない政治家は、常に国民について語ります。
人民の政府。
人民の、人民による、人民のための
"国民がすべてを動かしている夢を見ました"
これが聖書を信じるクリスチャンと背教の原理主義者の違いです。
それが、聖書を信じるクリスチャンと、聖書を信じないクリスチャンの教職員の違いです。
聖書のアプローチは常に、肯定的なものには否定的であり、否定的なものには肯定的です。
イエス・キリストの言葉を借りれば
人の間で高く評価されているものは、神には忌み嫌われるものです。(ルカ16:15)
人の間で高く評価されているものは、神様の目には忌み嫌われるものです。
人の間で高く評価されているものは、神様の目には忌み嫌われるものです。
人の間で高く評価されているものは、神様の目には忌み嫌われるものです。
ジーザス・クライストが映画の中でその言葉を引用しているのを聞かなかったことに賭けますか?
きっと『グレイテスト・ストーリー・エバー・トールド』には出てこなかったんでしょうね。
そうでしたっけ?
ジーザス・クライスト・スーパースター』では、ルカによる福音書からの引用はなかったでしょうね。
"人の間で高く評価されているものは、神様の目には忌み嫌われるものである"
ですから、物理的な宇宙に関しては
聖書は、被造物が腐敗の束縛の中にあることを当然のこととしています。
そして、この束縛からの解放を期待しているのに、解放されていないのです。
そしてイエス・キリストが戻ってこられるまでは、堕落の束縛からの解放はありません。
そして、自然界にかけられた呪いは、イエス・キリストが再臨して初めて取り除かれるのです。
イザヤ書55章13節。
いばらの代わりにもみの木が立ち、灌木の代わりにマートルの木が立ちます。
イザヤ書11章では、ライオンはベジタリアンであり、牛のようにわらを食べると言われています。
それは動物の世界の平和を意味します。
イザヤ書65章25節にはこうあります。
オオカミと子羊は共に食べ、ライオンは雄牛のようにわらを食べます。彼らはわたしの聖なる山のすべてにおいて、傷つけることもなく、滅ぼすこともない、と主は言われる」。
イザヤ書11章1節から11節をお読みください。
荒野は実りをもたらすでしょう。
イザヤ書32章15節にはこうあります。
高いところから私たちに霊が注がれ、荒野が実り豊かな畑となるまで。
イザヤ書35:1によれば、砂漠はバラのように花開くでしょう。
再臨によって千年王国が始まるのですから。
この地上におけるキリストの千年統治。
イエス・キリストが王の王、主の主となる場所。
すべての国が彼に服従するところ。
政府はついに正しい支配者の下に置かれるのですから。
アメリカには、神様のみ言葉に従って国家を運営した人物はまだ一人もいません。
そして、いわゆる教会が世界を動かしていたのは、西暦500年から1500年までの間だけです。
そして、その教会が世界を動かしていた時代。
それは、世界がかつて知ることのなかった暗黒の時代であり、歴史の暗黒期でした。
イタリア・スペイン・フランスが神様のみ言葉通りに運営されたことは一度もありません。
神聖ローマ帝国が聖書通りに運営されたことは一度もありません。
教会の歴史の中で、教会が国連を運営し、教会が世界を支配していた時期がありました。
それは、これまで世界が知っていた文明の中で、最も黒く暗い、悪魔に取り憑かれた原始的な未文化の部分でした。
暗黒時代と呼ばれるまでは。
最近になるまで、肯定的な考え方をする人たちは、結局のところ、それほど暗くはなかったと判断し、今では中世と呼んでいます。
イエス・キリストが戻ってこられたら
王の中の王、主の中の主がダビデの王座に座り、この地上のダビデ的メシア・パレスチナ王国の政治的支配者となります。
そして千年の間、この地上を治めなさい。
アメリカ、イギリス、イタリア、スペイン、フランス、ドイツ、ロシア、中国、アフリカ、インドなど、すべての政府が彼に従うことになります。
指導者たちは彼の前に頭を下げ、塵に接吻するでしょう。
イスラム教徒も、仏教徒も、道教徒も、薔薇十字教徒も、ゾロアスター教徒も、この地球上に残ることはないでしょう。
そして、すべての正統派ユダヤ人は、王であるメシアを自分のメシアとするのです。
ダビデの子
ユダヤ人の王
このことを踏まえて、私たちは注意し、備えるよう警告されています。
マルコによる福音書13章33節
注意し、見張り、祈りなさい。時がいつ来るか、あなたは知らないのだから。
マタイによる福音書24章42節に
だから見なさい。あなたがたは、主が何時に来られるか知らないのですから。
私たちには主から与えられた責務があると警告されました。
そして、私たちがその責任を忠実に果たすことを求めておられるのです。
私たちは立派な人格を維持するよう注意しなければなりません。
見よ、父が私たちに与えてくださった愛のかたちを。それは、私たちが神の子と呼ばれるためです。それゆえ、世は私たちを知りません。愛する者たち、今、私たちは神の子です。私たちが何になるかは、まだわかりません。しかし、私たちは知っています。なぜなら、私たちは、その方のありのままの姿を見るからです。そして、このような望みを抱いている者はみな、その人が清いように、自分自身をも清くするのです。(第1ヨハネ3:1-3)
そして、宣教の大義を促進し、主の再臨を早めるために、あらゆる生き物に福音を宣べ伝えることに全力を尽くさなければなりません。
すべての生きとし生けるものに福音を宣べ伝えることは、私たちの使命です。
私たちは父の仕事に専念すべきです。
そして、もし行くことができないのであれば、与えるべきです。
そして、もし捧げることも行くこともできないなら、祈るべきです。
そして、捧げに行き、祈ることができるのであれば、私たちはその3つをすべて行うべきです。
これで、キリスト論に関する一連のセッションはしばらく終了です。
主イエス・キリストの御姿と御業について。
今後のセッションで言及することはあるかもしれませんが。
次回のレッスンでは
ニューマトロジーのレッスンを始めます。
神性、人格、名前、聖霊の働きを扱っています。
私たちはこの39回、神学について扱ってきました。
聖書の中で、父なる神様の最初の性質と働きを扱う主題。
キリスト論。
主イエス・キリストの性質と御業について、その人とともに多様性を。
そして、第3回目のセッションは、ウェブの神学セミナーのセッション番号40から始まります。
私たちは、聖霊に関する主題を扱います。
それが次のテーマであるニューマトロジーです。
来週も、ニューマトロジー・セミナーの最初のレッスンにご参加ください。
聖霊の人格。