ウェブ神学セミナー:第40部
2024年6月30日
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ありがとうございました。
神様のみことばを学ぶ生徒の皆さん、教師の皆さん、こんにちは。
今回から聖霊についてのレッスンを始めます。
聖霊と神様は一体であることを決して忘れてはなりません。
神と聖霊は別個の存在なのです。
もちろん、そうではありません。
これらの一連のレッスンは、気学という神学の学問に属します。
気学とは聖霊についての学問です。
そして、聖霊の人格は、私たちが最初に議論しなければならないことであり、この非常に重要な事柄を扱っているすべての聖句を扱う必要があります。
このセッションで折に触れて述べてきたように、ウェブの神学セミナーの目的は、聖書が自分自身について語っていることを、神様のみことばを学ぶ学生や教師に伝えることです。
聖書に何でも教えさせることはできます。
しかし、聖書が言っていることを変えない限り、聖書に嘘を教えさせることはできません。
ですから、このセッションで私たちが一番心配するのは、聖書が何を教えているかではなく、聖書が何を言っているかということです。
聖書に書かれていることが重要なのです。
この一連のレッスンでは、気学について扱います。
聖霊の人格と働きについてです。
聖霊は父と子によって遣わされ、信者を内在させ導きます。
イエス・キリストは、父から出る聖霊について語られました。
また、イエス・キリストは、聖霊がご自分から信者に与えられるものであるとも語られました。
聖霊は父なる神様や子なる神様と同等であり、決して劣っているわけではありません。
聖霊には近づくことも、遠ざけることもできます。
信頼することも、疑うこともできます。
愛されることも、憎まれることもできます。
慕われることも、侮辱されることも。
悲しむことも。
そして、嘘をつくこともできます。
聖霊の教理は非常に重要です。
聖霊が父と子と同等であるならば、父と子と同じように礼拝されるべきです。
父なる神様は主です。
息子は主です。
聖霊は主です。
イエスという名前は聖霊の名前ではありません。
イエスという名は父の名ではありません。
エホバという名前は御子の名前ではありません。
人々は,この二つは同じではないので,この二つは異なる神様であるという誤った推測をします。
一方は他方より劣っています。
ある人々は、イエスがこう言われたので
私を見た者は、父を見たのです。(ヨハネ14:9)。
彼らは父の名がイエスであると仮定しています。
イエス・キリストは人の名前です。
イエス・キリストは、疲れ果てて泣きました。
そして泣き。
血を流し
そして死にました。
父は食べず、眠らず、死なず。
旧約聖書では擬人的に語られます。
人間が理解できる言葉で。
しかし神様は霊です。
間違いを正すには、聖書が何を語っているのかを知ることに勝るものはありません。 説教者が聖句を引用しているからといって、それが何かを語っていると信じるだけではいけません。
ましてや真理を語っているなどということは。
今、誰かが適切に言いました。
"聖書は何でも教えることができる"
聖書を引用して嘘を証明することはできます。
実のところ、すべての嘘は聖句によって証明可能です。
どの嘘を証明したいかによります。
ワインを飲んでもいいということを証明したいのなら、4つか5つの聖句を引用します。
ヘブライ語とギリシャ語のうちの一つを引用して、酔っぱらうのです。
人を殺してもいいということを証明したければ、伝道者の書3章を読みなさい。
神の家で罪を犯し続けることが正しいと証明したければ、アモス4章に行きなさい。
盗みたいなら、ヨブ記14章に良い聖句があります。
結局のところ、聖句に書かれていることが第一です。
そして、その聖句が登場する文脈の中で何が語られているかが第二のポイントです。
人は、3つの方法のうちの1つを使うだけで、神様のみ言葉からどんな間違ったことも教えることができます。
一つは、聖句にない言葉を入れること。
二つ目は、そこにある言葉を取り除くこと。
あるいは3つ目は、その聖句が登場する文脈からその聖句を外すことです。
誰かが偽教師であることを見分ける方法は、その聖句が現れる文脈から、どのようにその聖句を取り去るかにあります。
この世で最初の罪は、神様のみことばから引き算をした女でした。
この世で最初に犯した罪は、禁断の実を取らなかったことです。
人間がこの世で犯した最初の罪は、神様の権威を簒奪したことではありません。
この世で最初に犯した罪は、姦淫でも強姦でも殺人でもありません。
悪魔がこの世で犯した最初の罪は、神様の言葉を疑ったことです。
そして、人間がこの世で犯した最初の罪は、神様のみことばから引き算をしたことです。
エバは創世記2章から神様の命令を引用するとき、「自由に」という言葉を省きました。
ですから、異端者はいつも、神様のみことばの引き算や足し算によって見破ることができるのです。
さて、あなたがすべきことは、これらの参考文献を書き留めておくことです。
暇があれば、それらをチェックして、私が真実を語っているかどうかを確かめてください。
つまり、あなた方の何人が、誰かがこう言ったのを聞いたでしょうか。
「信じてバプテスマを受ける者は救われる」と。
何人かはどう思ったと思いますか?
その人が聖句を引用したと思ったんですね。
その人は聖句を引用したのではありません。
その聖句から8つの言葉を省略したのです。
どのような言葉が省略されたのか、確認さえしなかったのです。
誰かがこう言ったのを聞いたことがありますか。
"地には平和を、人には善意を "と。
その人は聖句を引用していません。
聖書には聖句があります。
そこにはこう書かれています。
地には平和が、人には善意が。(ルカ2:14)
確認したこともないでしょう。
聖書にあるかどうか、どこで確認すればいいのかわからない人もいるでしょう。
だからこそ、ウェンの神学セミナーでは
私たちが教えているのは、真理であり、全き真理であり、真理以外の何ものでもありません。
そして、自分自身でそれをチェックし、誰かが嘘をついていないかどうかを確認するように求めています。
わかりました。
では、その1。
聖霊には意志の力があります。
コリントの信徒への手紙第一12章11節にこうあります。
しかし、これらの働きはすべて、ひとりの同じ御霊が、ひとりひとりの人に、それぞれ御心に適うように分けてくださるのです。
つまり、聖霊が決断を下すのです。
次に、聖霊には知性があります。
ネヘミヤ記9:20にはこうあります。
あなたはまた、彼らを指導するために、あなたの良い霊をお与えになりました。
力の影響力は、教えるための知識を持っていません。
しかし、聖霊は心を探ってくださる方です。
聖霊は執り成しをなさるので、霊の心を知っておられます。
聖霊は探求し、物事を知る能力を持っています。
それがネヘミヤ9:20、ローマ8:27です。
繰り返しますが、聖霊には知識があります。
第一コリント2:11にはこうあります。
人の霊がその人のうちにいるのでなければ、いったい何人が人のことを知ることができましょうか。神のことも、神の霊以外には、だれも知らないのです。
聖霊は知識を持ち、物事を知っておられます。
聖霊には力があります。
使徒の働き1章8節で、イエスはこう言われました。
聖霊があなたがたの上に臨まれた後、あなたがたは力を受けます。そして、わたしの証人となるのです。
聖霊はシモン・ペテロを風俗的な漁師から聖霊に満たされた伝道者に力強く変えました。
聖霊には愛の能力があります。
ローマ人への手紙15章30節には、御霊の愛と、神の愛が、私たちに与えられた聖霊によって流されることが書かれています。
聖霊は悲しむことができます。
エペソ人への手紙4章30節には、こう書かれています。
あなたがたは、神の聖なる御霊を悲しませてはなりません。
聖霊は嘘をつくことができます。
聖書の使徒言行録5章を開いて、最初の6節を読んでください。
使徒の働き5章に、シモン・ペテロがアナニヤとその妻についてこう言っています。
なぜ、このようなことを心に思いついたのですか。あなたは人に嘘をついたのではなく、神に対して嘘をついたのです。(使徒5:4)。
神様を試練に陥れ、神様を誘惑しようとし、神様に嘘をついている人たちが大勢います。
そして、彼らが嘘をついているのはイエス・キリストではなく、聖霊なのです。
それで神様が3人に?
いいえ、3つで1つの神様です。
今日のセッションでは、三位一体に関する数ヶ月前の最初のレッスンを復習する時間がありません。
しかし、まだお読みでない方は、ぜひご覧ください。
三位一体についての議論は、このシリーズの最初の7つのセッションを占め、三位一体における父、子、聖霊の神様の働きについて議論しました。
そして、私たちはこう言いました。
「父と子と聖霊」。
父なる神様が上にいて、もう一人の神様が少し下にいる(息子)ということではありません。
そして、もう一つの神様、聖霊のことです。
父なる神、子なる神、聖霊なる神。
三人で一人、三人で一人。そして真ん中の方は私のために死んでくださいました。
聖霊は考え、感じ、目的を知り、意志を教え、愛し、悲しまれます。
聖霊には、無生物の力や物体にはない知性と感情の能力があるからです。
私たちは決して聖霊を疑ったり侮辱したりしないようにしましょう。
信仰の愛と崇敬をもって聖霊に近づき続けましょう。
そして、パウロが言うように
あなたがたは、贖いの日まで封印されている神の聖なる霊を悲しませないでください。(エペソ4:30)
繰り返しますが、聖霊は人にしかできないことをしてくださいます。
そのうちの8つか9つ、場合によっては10つを挙げてみましょう。
まず第一に、聖霊は神様の深いところを探られます。
聖霊は語ることができます。
聖霊は叫ぶことができます。
聖霊は執り成すことができます。
聖霊は証しすることができます。
聖霊は教えます。
聖霊は導きます。
聖霊は命じます。
聖霊は人を呼び、仕事を与えられます。
そして、聖霊は遣わされた使命を果たします。
これらの10項目は、聖霊が単なる影響力ではなく、実在のお方であることを端的に示しています。
それぞれの聖句に印をつけながら、もう一度見ていきましょう。
まず第一に、聖霊は神様の深いところを探られます。
第一コリント2章10節。
このようなことができる現代のコンピューターはありません。
人間が祈りや読書を通して知ることのできない神のみことばを、コンピューターやAIが見つけ出すことはできません。
人間が作ったもので、それを解明できるものはありません。
そんな方法はありません。
この世で最も巨大なコンピューターがあったとして。
そのコンピューターがヨブ記40章と41章のリバイアサンを識別することはできません。
絶対に不可能です。
アダムとエバが何を食べたかを、太ったコンピュータのクラウドが教えてくれる可能性はまったくありません。
最も優秀な人間が発明した最も優秀なコンピューターとAI。
自然界のあらゆる電子的超能力を駆使して。
IQ150から180の最も優秀な男たち。
耐え難いほど複雑なマシンを作り上げました。
神様の言葉を理解することはできませんでした。
しかし、生まれながらの人は、神の御霊のものを受けません。霊的に見分けることができないからです。(1コリント2:14-16)
聖霊は語ることができます。
黙示録2章7節にこうあります。
耳のある者は、御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。
実は、この表現は黙示録2章に7回も出てきます。
そして、黙示録3章にも。
耳のある者は、御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。
聖霊は語ります。
聖霊は叫ぶことができます。
ガラテヤ人への手紙4章6節でパウロは言います。
あなたがたは子だからです。神様は御子の御霊をあなたがたの心の中に遣わして、こう叫ばれました。アッバ、父よ。
聖霊は執り成してくださいます。
ローマ人への手紙8章26節にはこうあります。
御霊は、言葉にできないうめきをもって、私たちのために執り成してくださいます。
これは、聖霊の執り成し役としての働きについて語っているのです。
聖書は、クリスチャンの内側におられる聖霊がクリスチャンのために執り成し、クリスチャンの祈りを神への祈りという適切な言葉に翻訳してくださることを語っているのです。
神様、私たちは天国で祈り方を知っている誰かが祈ってくれているだけではありません。
しかし、私たちが祈り方を知らないこの地上の現状では、私たちはこの土の器の中にいます。
私たちには、この土の器に
神様のみこころに従って執り成しをしてくださる聖霊様です。
そして、言葉にできないうめきをもって、私たちのために執り成してくださいます。
さらに、聖霊は証ししてくださいます。
ヨハネの福音書15章26節で、キリストはこう言われました。
慰め主が来ると、わたしを証ししてくださいます。
聖霊は教えます。
ヨハネの福音書14章26節で、イエスはこう言われました。
しかし、慰め主、それは聖霊です。父がわたしの名によってお遣わしになる方。彼は、あなたがたにすべてのことを教え、すべてのことを思い起こさせます。わたしがあなたがたに言ったことは何でも。
この能力は、ヨハネによる福音書16章12節とネヘミヤ書9章20節にも記されています。
ですから、聖霊は知識を持つ教師なのです。
知識を蓄えます。
知識を明らかにします。
知識を伝えます。
知識を確認します。
そして、あなたが忘れてしまった知識を、あなたの記憶に呼び戻します。
それだけではありません。
聖霊は導き、指示します。
ローマ人への手紙8章14節に
神の御霊に導かれる者は、神の子です。
聖霊は命じます。
使徒の働き16章6節から7節に、パウロとシラスがアジアで御言葉を宣べ伝えることを聖霊に禁じられたことが書かれています。
しかし、聖霊はそれを許さなかったのです。
ここで二人の宣教師が宣教の旅に出ましたが、聖霊はこう言われました。
"こっちに行くな、こっちに行け"。
聖霊は、ある場所に行くことを禁じ、別の場所に行くようにと言うのです。
これが神様です。
聖霊は導き、導いておられます。
導き、指示し、命令します。
彼らはアジアでみことばを宣べ伝えることを聖霊に禁じられていました。しかし、聖霊はそれを許さなかったのです。
聖霊は人を召し、特定の仕事を与えられます。
例えば、使徒の働き13章2節にはこうあります。
バルナバとサウロを、わたしが彼らを召した務めのために、わたしに引き離しなさい。
イエス・キリストではなく、聖霊。
父なる神様ではなく、聖霊様です。
使徒の働き20章28節で、パウロは言いました。
聖霊があなたがたを監督する者とされたのです。
そして、聖霊は遣わされた使命を遂行します。
ヨハネの福音書15章26節で、キリストはこう言われました。
しかし、わたしが父からあなたがたに遣わす慰めの者が来ると、その方は、あなたがたに遣わされます。それは、父から出る真理の御霊です。彼はわたしを証しするのです。
次回は、聖霊に明確な役割が与えられていることについてお話しします。
そして、聖霊の感情とその働きについてです。
そして、今日学んだことを復習しましょう。
聖霊の働き。
聖霊の働き。
次回は、さらに聖霊の命令についてお話しします。
聖霊が人を呼び寄せて仕事を与えること。
聖霊は遣わされた使命を遂行します。
そして、聖霊は慰め主という明確な役割を与えられます。
そして、さらに気学では、聖霊とその感情についてお話しします。
さて、今日のセッションの数分間、私はめったにしないことをしようと思います。
いくつかの場所で私たちの仕事を紹介します。
そして、これらのセッションは信仰の献金で賄われているのではないことを、聴衆の皆さんにお知らせしたいと思います。
私たちはこれらのセミナーで金銭を要求することはありません。
ギフトパッケージを提供することも、金銭を要求することもありません。
私たちは祈りを求めます。
これらのセミナーは、あなたの地域の関心のあるクリスチャンによって開催されます。
関心のある教会や牧師たち。
そして、インターネットでのこれらのレッスンを望んでいるあなたの地域のクリスチャンたちです。
ですから、もしあなたが、この一連のレッスンを望んでいる人を知っているならば、その人にこのレッスンへのリンクを渡すだけでいいのです。
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私たちはそれを無料で提供します。
私たちの使命は、純粋で混じりけのない神のみことばを広めることに関心のあるクリスチャン、あるいは関心のあるクリスチャンによって賄われています。
このセッションがあなたにとって祝福であったことを信じます。
来週も私たちとご一緒しましょう。
空気学の勉強を続けます。
それまで、主の祝福とごきげんよう。